趣味の子育て「エサあり派?エサなし派?」

こんにちは、子育てエンジョイしていますか。newginです。

今回はエサの話・・・じゃなく育児、の話をしてみたいと思います。

エサあり派?エサなし派?

育児の話題でよくあるんですが、「子供をやる気にさせるために、エサで釣るのは是か否か」のような話、耳にしたことはありませんか?

この「エサで子供を釣る」ことに関してはどちらかというと「是」は少数派で、どちらかと言えば「否」よりの意見をよく目にするので、自分の育児に不安に思っているママやパパがそれを目にすると「やっぱりエサはよくなかったんだ!」って思うこともあるかもしれません。

ただ、どうも引っかかるんですよね「子供をエサで釣る」ことが本当に悪いことなのかって。

なぜエサで釣るのがよくないのか

ふとそんなことを思いついて、キーワードで色々と検索をしてみました。
そしてエサで釣ることのデメリットとして出てきた意見はこんな感じでした。

・対価がもらえないと動けない子供になる
・より高価な代償を求めるようにエスカレートする
・本来の目的を理解せずにご褒美のためにしか動けなくなる

どれも納得できるようでいて、やっぱりしっくりこなかったので、自分なりの意見を書き出してみました。

モチベーションがなくて当たり前

そもそも子供が嫌がるということ自体、子供からの「苦手」「嫌い」っていうシグナルと捉えるべきではないでしょうか?

「好きなことだったらいくら止めたって一日中やる、下手したら1年だってやり続けちゃう」子供ってそういうものですよね。

つまり大人側の「将来のためにやっていたほうがいい」「みんなができてるからこの子にもやらせたい」っていうものの多くが、子供側からの視点では「親から押し付けられてる嫌なこと」なんだってことを理解してあげるべきだと思うんです。

「将来絶対役に立つのに英語の勉強やりたがらない!」当たり前です、それを理解しろだなんて無茶にもほどがあります。

「子供がやりたいんじゃなくて、私がこの子にやって欲しいこと」だってことを頭の片隅に入れていると「自分からやる気出させなきゃダメ!」なんて安易には言えないと思うんです。

まずは小さなやる気を育ててあげることで十分!

そう思いませんか?

対価ゼロでは大人もキツイ

対価がないとモチベーションが上がらないのは、子供だけじゃなく大人も一緒ですよね。

仕事だったら「お金や出世」がモチベーションになりますし、ボランティアだったら「相手の笑顔」がやる気に繋がっているのかもしれません。

育児だって子供の成長っていう対価があるからこそモチベーションが保てるんじゃないでしょうか。

ここで言いたいのは「何が何でも対価が必要だ」ってことではありません。
対価は「モノとは限らないよ」ってことが言いたいのです。

わが家の場合なら「宿題終わったら虫取りに行こう!」とか「スイミングスクールの帰りハンバーグ食べて帰ろっか」とか、そんなことが対価になってると思います。

マーケティングの世界で頻繁に使われる「モノからコトへ」とはちょっと違いますが、楽しい「コト」は直接モチベーションを刺激してくるので、子供への対価は「モノ」より「コト」のほうが効果があるんじゃないかとすら思っています。

また「コト」が対価になる場合、あまりエスカレートしていくことがないのもいいところです。

散々エサで息子を釣り上げているnewginですが、未だに「一緒に遊ぶ」というエサで十分。「ハワイじゃなきゃやだー!」なんて言ってきませんよ。

逆に「うちの子はモノじゃなと動かないのよね」なんて言っているママやパパがいたとしたらそれは「モノでしか動かない子供」にあるんじゃなくて「モノでしか動かせない親子関係」に問題があるのかもしれませんよ。

エサの与え方にも色々ある

先ほど「いい親子関係を築いているか」って話になりましたが
いいエサのあげかたと、意味のないエサのあげかたもありますよね。

子供をペットや動物に例えるのは少し抵抗ありますが、わかりやすいので動物で例えてみますね

(A)吠えずにじっと留守番していた犬が、日々愛情を注いで接してくれる飼い主から「よく頑張ったね〜」と褒められてご褒美にエサをもらう。
(B)吠えた犬を静かにさせるために「静かにしなさい!」って叱りながらエサを与える。
(C)養豚場で定期的にエサも与えられている豚や、養殖場の魚。

(A)の場合は「エサ」よりも褒めてもらったことへの満足感のほうが強く、エサは「愛情・感謝の度合い」を示すためのアイコンになっているだけです。

(B)の場合は「吠えればエサがもらえる」っていう誤った考えに繋がってしまいそうですね。しかも褒められているわけでもないので飼い主との距離が縮まることもなさそうです。

(C)にとって「エサ」は「エサ」です。それ以外の価値は何もありません。エサをくれている人に対しても何の感情もないでしょうね。

この差はとてつもなく大きいです。

つまりはエサを与えることが「悪」なのではなく、エサをどんなタイミングでどんな目的で使うかが重要!

ちゃんとした使い方ならむしろプラスなんじゃないかとすら思えてきませんか?

エスカレートさせてるのは誰?

最後に。「エサをもらうことに慣れてしまうと要求がどんどんエスカレートしていく」って意見ですが、これはきっと「ゴネればぶれる」ってことがバレてるんだと思います。

子供はかしこいですから、そういう経験を1度しちゃうと覚えちゃいます。

うちでは「ブレない」っていうことを最重要視していて、約束が守れなければ絶対にエサを与えたりしませんが、その代わりに約束したは報酬は厳守します(例えば約束のお菓子が売ってなければその日のうちに別のスーパーを何件も回ることだってあります)。

こういう信頼関係が築けていれば要求がエスカレートしていくなんてことはそうそうないと思うんですが、甘い考えですかね?

まとめ

今回は育児における「エサ」についてちょっと考えてみました。

この記事を書きながら「子供をやる気にさせるためにエサで釣るのは是か否か」という問いにどうもしっくりこなかった理由がわかってきたのですが、「エサ」を焦点にしていること自体がしっくりこなかったみたいですね。

「エサをうまく使った育児だってありだし、エサを使わないから正しいってわけでもないんじゃない?」そう思うんですよね。

家事代行サービスを利用してるからダメな親というわけでもなく、無農薬有機栽培の手作り料理を毎日作っているからイイ親ってわけでもない、という感覚に近いですね。

「エサあり派」「エサなし派」どちらであっても子供とちゃんと向き合っていればしっかりと子は育つ、そんな風に考えています。

随分えらそうなこと言ってしまいましたがそこはただの一児のパパ、育児プロの意見じゃないので少し大目に見てくださいね!

それでは今回はこのへんで。

基本「エサあり派」のnewginでした!

※今回の話はうちのひとり息子(7歳)あたりの年齢を想定した内容になっています。ご了承ください!

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